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汗もかかなかったけれど [現場]

 アースデイ東京タワー・ボランティアセンター主催の0泊2日週末被災地ボランティアに参加してきました。行き先は宮城県石巻です。

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29日(金)の夜、仕事を終えて雨に滲む東京タワーの麓へ

 
 バスは今回参加の20人を載せて、夜22:00に東京タワーを出発。参加費用は11,000円、その場で支払いです。途中トイレ休憩を3回ほど挟み、翌30日(土)早朝5時前には活動場所近くの大郷町に到着。コンビニでご飯を買って、朝食をとります。

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出荷制限がかかっているのは、きつい

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乗ったバスは、てんぷら油の廃油を精製したBDFが燃料

 今回の作業は生徒の72名の生徒が亡くなり、いまだ6名が行方不明という凄惨なことになった大川小学校の周囲の遺留品の整理・洗浄です。まずは大川小学校の現場に、お花とお線香を捧げに行きます。

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途中の石巻市内の様子

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田代島を訪ねた際に寄った石ノ森萬画館。現在閉鎖中

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瓦礫がまだうずたかく積まれているのは、岩手と同様

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案内の方と合流した公民館のようなところ。カヌー部隊が雑魚寝している


 カヌー部隊はエンジンなしで動けるという利点を生かし、エンジン船[船]で行ったら水中の網や瓦礫がスクリューに絡まってしまう場所に漕いでいって、ブイや網を拾い集めてくる役割を担っているのだそうです。全国からカヌーイストが集まって、ここに雑魚寝しつつ作業をしているらしい。みんな、強者です。
 
 大川小学校はこの場所から車で20分程度のところでしたが、元々は学校と小さな集落が川沿いにあった場所が、今は廃墟となった小学校の他、ほとんど何もありませんでした。学校の廃墟の周りでは、数台の重機が木材を砕いたりして忙しく動き回っていました。校舎を見おろす丘になったところに第一の祭壇があり、そこには元の学校とそれに寄り添うように取り囲む釜谷の集落の写真が飾られていました。
 どろんこの道を降りていくと、校舎近くに第二の祭壇があり、こちらに献花し、お線香を上げてきました。二階建ての小さな校舎は、在りし日はきっと子供たちの元気な声で溢れかえっていたのでしょうが、今はまるで戦争のあとのように無惨な姿をさらしているばかりです。とてもシャッターは押せませんでした。
 祭壇近くには掲示板が置かれ、自衛隊員が必死に捜索する姿を撮影した写真が何枚も貼られていました。小さな遺体を運ぶ隊員たちの姿……これから整理・洗浄するものの多くは、おそらく彼らが拾い集めてきたものでしょう。
 現場を去るときになって、まだ見つからない子供たちのためでしょうか、入れ違いに中国管区機動隊の車が4~5台入ってきました。

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大川小に行く途中の風景。むちゃくちゃです
 

 その後、遺留品の置かれた福地体育館へ。「7割が遺品だと思われます。効率はこの際度外視して、一つ一つ真心込めてきれいにしてください」と説明があり、作業にかかります。

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ここは、作業場と展示室と両方を兼ねています

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真ん中の機械は写真の複写に使うもの

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書道用具、ピアニカにリコーダー、トロフィー、そして位牌……

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最近余震が多いので、危険と判断したら裏山に逃げるようにと指示あり

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記念撮影


 雨で涼しくて、しかも力作業ではないので、汗一つかくわけではありませんでしたが、精神的には重い作業でした。私は写真洗浄班でしたが、子供たちの学習ドリル[ペン]の汚れを落とした人もいて、「算数の良くできる子だけど、漢字のドリルはもうちょっと頑張れ、と思いながらきれいにした。この子はもういないかもしれないけれど、このドリルを取りに来た遺族の人も、やっぱりそういう気持ちでこれを見るのかなあ、と思った」と感想を述べられ、子供が亡くなるということのやるせなさが胸に迫りました。
 今回は、会社単位で数人で参加した人、ご夫婦で参加した人、父子で参加した人、アメリカ在住でビザ更新の一時帰国のチャンスに参加した人、と様々なメンバーの20人でしたが、けっこう二度、三度とボラバス[バス]に乗っている人もいるようです。頑張って宣伝しても、いまだにあまり影響力を持たない自分がふがいない……[あせあせ(飛び散る汗)]
 14時半頃に作業を終え、現地を出発です。途中福島・栃木辺りで豪雨にあったり、事故渋滞にはまったりしましたが、おおむね順調に来て、21時過ぎには東京タワーに帰ってきました。バスの中でがんがん寝たので、あまり疲れはありません。涼しくて身体が楽なこともあるのかな? とにかく、どこで何をやるにせよ、次にできることをまた探そうと思います。[手(グー)]

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green_blue_sky

こんにちは。
お疲れ様です。石巻、以前、かわいいもの展のとき、一部の寄付は石巻でした。
まだまだやることがたくさんありますね。。。
実家のほうで物資が出てくれば、被災地に送ります。

頭痛、のどが異常に痛いので風邪だと思います、よく寝て治します。
クレオパトラちゃん、茶白ボス君の陰になって見つけにくかったでしょう(;^_^A アセアセ・・・
by green_blue_sky (2011-07-31 08:53) 

ChatBleu

ご自身でもおっしゃっているように精神的に、辛そうな作業です。春には手術もされたのに、休みにこうしてボランティアへ。スゴイなぁ。感心してしまいます。
そのお気持ちを受けて、自分も行くべきなのですが、ままならない状況なのがもどかしいです。
by ChatBleu (2011-07-31 09:09) 

あーる

green_blue_skyさん
本当に必要な物資を必要な人に届けられるコーディネートが現地では難しいのだそうです。行政に渡ってしまうと、そちらはどうしても公平に分配することが鉄則となり、スピードも遅くなるし、マッチングできない物資が山積みになる……できるだけネットなどでどこで何が必要とされているかを調べて送ってください、と、今回のコーディネーターの方はおっしゃっていました。

ChatBleuさん
身体はもう全然平気なので、ご心配いりません。ありがとうございます。私の場合、自分が東北人というのが今回傍観者でいられない理由なのだと思います。わりと今、仕事もきつくないし。今日からは弟が1泊で気仙沼に突撃しています。まだまだ継続的な支援が必要となりますので、息の長い支援をしていけば、それでいいと思います。しかしやはり、「現場」を見るのはたいへんなインパクトがあるものですね。
by あーる (2011-07-31 09:36) 

marie

あーるさんいつもボランティア本当にご苦労様です。
子供に関係する物を扱うのはとても切ないです。
昨日テレビで宮城の震災当日の事をやっていました。 迫りくる津波を自宅から撮影しつづけた女の子の話や 公民館に避難したものの危険を察知し裏の階段から山へ登ったのはいいが階段が途中でとぎれていてたくさん犠牲になった方がいたとのお話でした。 
4か月経ちましたが本当にすごい震災だったのだと そして原発の被害に苦しまれている方々がたくさんいるんだということを改めて感じました。

昨夜も福島を震源とする震度5の地震がありましたね。 まだ余震の心配もあるようです。あーるさんどうぞ気をつけて下さいね。
by marie (2011-07-31 11:14) 

あーる

marieさん
余震の話は、今回の活動場所で最初に避難についての注意を受けて、緊張してしまいました。幸い、必要ありませんでしたが。津波を避けて裏山に駆け上がるなんて、今の自分にできるのか……山登りはキライだし。訓練しておく必要がありますかねえ。
誰が亡くなっても同じように悲しいはずなんですが、子供だと、どうしてこんなにことさらに悲しいんでしょうね。
by あーる (2011-07-31 11:45) 

JUNJUN

今回も、本当にお疲れ様でした。
大川小での作業、かなしいですね。
このような痛々しい映像を見るたびに、生きていて住む家もあることがどんなにありがたいことか思い知らされます。
田代島も、本当に気になりますね。
早く復興して欲しい!
by JUNJUN (2011-07-31 19:08) 

チャコ&ミニ

お疲れ様でした。
会津若松住む妹からいろいろな話を聞きます。妹自身は直接的な被害にあってはいませんが、放射能のこと、被災後の住民の生活のこと、言葉を失う話の数々です。
どんどん行動に移しておられる皆さまに頭の下がる思いです。
by チャコ&ミニ (2011-07-31 20:19) 

あーる

JUNJUNさん
田代島、にゃんこザプロジェクトに一口載せていただいてはいるものの……どこまで復旧しているか、気になります。
大川小、本当に悲しい、壮絶な現場でした。

チャコ&ミニさん
福島県は一番いろいろな被害を被ってしまっていますよね。東京から距離的には一番近いのに、なかなか近づけない場所になっています。
できることから一つずつ、進んでいければいいと思ってやっております。
by あーる (2011-08-01 13:00) 

TAKUMA

ダイヤモンドヴェールのタワーと被災地、凄い格差。
石巻、まだまだですね。
大川、悲惨著しい地域です。
私が行った時、石巻のおっちゃんが、ここはもういいから大川行ってやってくれ、と言っちょりました。

by TAKUMA (2011-08-02 01:47) 

あーる

TAKUMAさん
石巻、街中も酷いですが、大川は本当に壊滅的でした。ただ、ため息です。
by あーる (2011-08-02 08:29) 

のらん

おつかれさまでした。。。ボランティア、がんばっていらっしゃるのですね。
頭が下がります。
小学校での作業、読ませていただくだけで胸が痛みます。
瓦礫の山も、まだまだ片付くまでに時間がかかりそうですね。

by のらん (2011-08-02 21:02) 

あーる

のらんさん
体力的にはきつくはありませんでしたが、悲しい作業でした。
まだまだ現地ではいろいろなことが山積みのままです。
by あーる (2011-08-02 21:25) 

ネム

子供達の笛、鍵盤ハーモニカ、習字用具…
痛ましい、つらい作業でしたね。
本当におつかれさまでした。。。

by ネム (2011-08-04 01:38) 

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