小旅行(吉里吉里ボランティアツアー)-その2 [旅行]
29日(土)の入浴、夕食が終わり、19:45からは町の方のお話を伺いました。我々の宿泊するきらりベースには、港の安全保安要員をされている芳賀さん(芳賀さんばっかりですが)に来ていただきました。とても魅力的なキャラクターのおじさんです。
彼は代々ずーっとこの地区で育ってきて、みんなの顔をよく知っているので、遺体が上がるたびに顔の確認をしたということを淡々と語ってくれました。辛いだろうな……。
また、この地区で暮らして行くには、たいした生活費はかからないけれども、交際費が3倍かかる、というお話。とにかく地域の結束が固く、結婚式なら200人は呼ぶ、と。親戚でなくても、隣組でもみんな招待するのだそうです。よそからお嫁さんが来ると、街中の人が毎日お祝いを持ってお嫁さんの顔を観に来るので、たいへんだといいます。「いいんだか悪いんだかわがんねけど……」と、芳賀さん。
ただ、小さな漁師町で、大槌の町中からもだいぶ距離があり、何かあったら自分たちで解決しなければならないという互助の精神がしっかりと根付いているのがとても大きな強み。津波後は、流されなかった高い土地にある家や神社や寺にあるお米を持ち寄り、毎日朝晩一つずつの小さなおにぎりをこしらえて分け合い、生き抜いたこと、ローソンからいろいろなものが流されてきて、これをお願いして洗って食料・生活用品としたが、トラブルが起こるのを避けるために酒類だけはカギをかけて管理したこと、昼間よその町に出て働いている親たちに代わって、中学生達がけが人の救助などで大活躍したこと……どれも貴重なお話でした。流されずに残った3台の重機を集めて、救助が入れるような道作りをし、重傷者や高齢者を高台の老人施設に運んで、ヘリで救助してもらったことなど、警察・自衛隊が入るまでのことはすべて町の人たちが助け合って解決したといいます。
都市で同じような災害にあったら、隣の顔もろくに知らない我々はみーんな無縁仏になるのかも。
ほとんどの人がボラは初めてではなく、今年6月30日に開催した「おおつちありがとうロックフェスティバル」のボラに来たという人も何人もいました。
ベースの中では理科室だけは飲食OKということで、こちらに集まりました。
一緒に飲んだ中で、いちばん遠い所から来ているのが阪大の学生さん、その次は岐阜県美濃市の県立森林文化アカデミーの若い先生と年取った学生の組(先生は31歳イケメン、学生さんは絶対定年過ぎてます)……楽しかったー! ただし、消灯時間は11時なので、その後は温和しく寝ました。普段は電気も水道も使えないのですが、今回は特別に発電機を動かしてくれていたのです。
朝は、ベースの管理の方にお礼をして、復興食堂でまたバイキングの美味しい朝食。さんまの煮たやつが軟らかくて美味かったなあ。
その後は元の公民館で9時から閉会式。前日にカレーを作ってくれたチームのリーダーのお母さん、最初は瓦礫、その後は間伐材を使って「復活の薪」をつくり、新たな商売を作って頑張っている人、前日の写真にある水産加工場「潮風堂」を復活させて、新たな商品展開を図っている人の3人が、お話をしてくれました。
一人目のお母さんの「お腹が痛くなったりしませんでしたか?」というお尋ねには笑ってしまいましたが、その後はだいたいもらい泣きです。なんかね、歳をとると涙腺がねえ……。
「私たちは、震災の前も後も、自分たちに出来ることをやってきただけです」という言葉がとても印象に残りました。
「復活の薪」自主制作CM(http://www.youtube.com/watch?v=igHLeWV88LY&feature=related)。震災直後の地区の様子がよく分かります。
その後は出店でお買い物をして、地元に伝わる伝統芸能を見せていただきました。
ほとんど、地元の子供達が踊っています。鹿子踊りは、全然前後は思い出せなかったけど、宮沢賢治の「鹿踊りだじゃい」という言葉の入った詩があって、とても興味がありました。迫力があってよかったなあ。因みに詩の全文はネットで拾いましたが、
鹿踊りのはじまり 宮沢賢治
海だべがと おら おもたれば
やっぱり光る山だたじゃい
ホウ
髪毛 風吹けば
鹿踊りだじゃい
というもので、とても短い詩ですが、いい感じなのです。
前記の芳賀さんは踊りの保存会のお仕事もされているのですが、彼によると、鹿子踊り(吉里吉里のはこの表記)の主役の男の子2人は、どうしてもこの踊りをやりたくて、地元を離れたくなくて、二人とも釜石に就職が決まったとか。よかったね。
私が見ていた近くで地元のおじいさん達が虎舞を見ながら、「ありゃどごの孫だ」「★★の」「あー」なんて話をして盛り上がっていたのですが、和藤内が最後に刀を納めるのに失敗して(逆向きに挿して)、鞘に収まらず、そのまま投げ捨てたときは、さらに大爆笑の大盛り上がりでした。
踊りをしている子供達を見ても、お母さん、お父さん、お年寄りの人たちを見ても、みんな何かここに「自分の役割がある」という感じを強く受けました。
その後はバスで台風渦巻く東京方面へ。途中からがんがん雨風が激しくなって、横浜に着くちょっと前には東横線が止まり、なかなかに苦労をして家に帰りました。
今回のボランティアの主催NPOが「聞き書き甲子園」という企画をしており、いろいろな方から聞き書きした内容をまとめた本です。今回お話を伺った芳賀さんも入っていました。こんな活動もあるのだな。
「あははは、やっぱりー」なんて、一緒に飲んだ東京農大の男の子にバスの中で笑われてしまいました。
今回も、とても楽しかったのでした。旅行感覚で気軽なボランティア、おすすめです。
彼は代々ずーっとこの地区で育ってきて、みんなの顔をよく知っているので、遺体が上がるたびに顔の確認をしたということを淡々と語ってくれました。辛いだろうな……。
また、この地区で暮らして行くには、たいした生活費はかからないけれども、交際費が3倍かかる、というお話。とにかく地域の結束が固く、結婚式なら200人は呼ぶ、と。親戚でなくても、隣組でもみんな招待するのだそうです。よそからお嫁さんが来ると、街中の人が毎日お祝いを持ってお嫁さんの顔を観に来るので、たいへんだといいます。「いいんだか悪いんだかわがんねけど……」と、芳賀さん。
ただ、小さな漁師町で、大槌の町中からもだいぶ距離があり、何かあったら自分たちで解決しなければならないという互助の精神がしっかりと根付いているのがとても大きな強み。津波後は、流されなかった高い土地にある家や神社や寺にあるお米を持ち寄り、毎日朝晩一つずつの小さなおにぎりをこしらえて分け合い、生き抜いたこと、ローソンからいろいろなものが流されてきて、これをお願いして洗って食料・生活用品としたが、トラブルが起こるのを避けるために酒類だけはカギをかけて管理したこと、昼間よその町に出て働いている親たちに代わって、中学生達がけが人の救助などで大活躍したこと……どれも貴重なお話でした。流されずに残った3台の重機を集めて、救助が入れるような道作りをし、重傷者や高齢者を高台の老人施設に運んで、ヘリで救助してもらったことなど、警察・自衛隊が入るまでのことはすべて町の人たちが助け合って解決したといいます。
都市で同じような災害にあったら、隣の顔もろくに知らない我々はみーんな無縁仏になるのかも。
貴重なお話のあとは、ちょっと酒盛り……
ほとんどの人がボラは初めてではなく、今年6月30日に開催した「おおつちありがとうロックフェスティバル」のボラに来たという人も何人もいました。
あとでTシャツをもらっちゃいました。ハートのは地元の手作りアクセサリー
ベースの中では理科室だけは飲食OKということで、こちらに集まりました。
一緒に飲んだ中で、いちばん遠い所から来ているのが阪大の学生さん、その次は岐阜県美濃市の県立森林文化アカデミーの若い先生と年取った学生の組(先生は31歳イケメン、学生さんは絶対定年過ぎてます)……楽しかったー! ただし、消灯時間は11時なので、その後は温和しく寝ました。普段は電気も水道も使えないのですが、今回は特別に発電機を動かしてくれていたのです。
ベースの向かいにきらり復興商店街(仮設)があり、ここで(お酒など)いろいろ買えます
朝は、ベースの管理の方にお礼をして、復興食堂でまたバイキングの美味しい朝食。さんまの煮たやつが軟らかくて美味かったなあ。
その後は元の公民館で9時から閉会式。前日にカレーを作ってくれたチームのリーダーのお母さん、最初は瓦礫、その後は間伐材を使って「復活の薪」をつくり、新たな商売を作って頑張っている人、前日の写真にある水産加工場「潮風堂」を復活させて、新たな商品展開を図っている人の3人が、お話をしてくれました。
一人目のお母さんの「お腹が痛くなったりしませんでしたか?」というお尋ねには笑ってしまいましたが、その後はだいたいもらい泣きです。なんかね、歳をとると涙腺がねえ……。
「私たちは、震災の前も後も、自分たちに出来ることをやってきただけです」という言葉がとても印象に残りました。
「復活の薪」自主制作CM(http://www.youtube.com/watch?v=igHLeWV88LY&feature=related)。震災直後の地区の様子がよく分かります。
その後は出店でお買い物をして、地元に伝わる伝統芸能を見せていただきました。
試食をして美味しかったのを買いました。ご飯に合うな
鹿子踊り。大迫力です
獅子舞。絵柄がかわいい
虎舞。中学生って身軽だよなあ
虎が調子に乗って暴れると、和藤内がやっつける
ほとんど、地元の子供達が踊っています。鹿子踊りは、全然前後は思い出せなかったけど、宮沢賢治の「鹿踊りだじゃい」という言葉の入った詩があって、とても興味がありました。迫力があってよかったなあ。因みに詩の全文はネットで拾いましたが、
鹿踊りのはじまり 宮沢賢治
海だべがと おら おもたれば
やっぱり光る山だたじゃい
ホウ
髪毛 風吹けば
鹿踊りだじゃい
というもので、とても短い詩ですが、いい感じなのです。
前記の芳賀さんは踊りの保存会のお仕事もされているのですが、彼によると、鹿子踊り(吉里吉里のはこの表記)の主役の男の子2人は、どうしてもこの踊りをやりたくて、地元を離れたくなくて、二人とも釜石に就職が決まったとか。よかったね。
私が見ていた近くで地元のおじいさん達が虎舞を見ながら、「ありゃどごの孫だ」「★★の」「あー」なんて話をして盛り上がっていたのですが、和藤内が最後に刀を納めるのに失敗して(逆向きに挿して)、鞘に収まらず、そのまま投げ捨てたときは、さらに大爆笑の大盛り上がりでした。
踊りをしている子供達を見ても、お母さん、お父さん、お年寄りの人たちを見ても、みんな何かここに「自分の役割がある」という感じを強く受けました。
その後はバスで台風渦巻く東京方面へ。途中からがんがん雨風が激しくなって、横浜に着くちょっと前には東横線が止まり、なかなかに苦労をして家に帰りました。
また、こんな分厚い本をいただきました
今回のボランティアの主催NPOが「聞き書き甲子園」という企画をしており、いろいろな方から聞き書きした内容をまとめた本です。今回お話を伺った芳賀さんも入っていました。こんな活動もあるのだな。
途中のPAのガシャポンで
「あははは、やっぱりー」なんて、一緒に飲んだ東京農大の男の子にバスの中で笑われてしまいました。
なんかさあ、見透かされてるわね(ポ)
まーね
今回も、とても楽しかったのでした。旅行感覚で気軽なボランティア、おすすめです。
地域でしっかりまとまった土地なのですね。
うらやましいけれど、もはや私にはそういうのがストレスになってしまう
暮らしをしているので、無理かなぁって思います。
無縁仏確定だな(-_-;)
ガシャポン・・・・ぴったり~^m^
by ChatBleu (2012-10-02 18:57)
貴重な体験でしたね。お疲れ様でした。
大槌町はブログ友達の実家でしたので、多くの話を聴いていました。
ボランティアに行かれて、いろいろなお手伝い、お疲れ様でした。
みんな家族のように一体感があるから、今でも、みなさんしっかりと生活されているのでしょうね。
台風の中での帰宅が一番疲れたでしょうね・・・
by green_blue_sky (2012-10-02 20:28)
ChatBleuさん
私も無理だと思います。都会で暮らすということは、無縁仏の危険と隣り合わせにいるということなんですね、きっと。軽い気持ちでガシャポンやっただけなんですが……かわいいからよし!
green_blue_skyさん
本当に、みんなが家族・親戚なんですよね。いいところですが、この濃密な空気によそから入り込もうとしたら、なかなかたいへんかも。ただ、町の人が「これからどう生きるか」「どんな町を作るか」をきちんと考えて暮らしていらっしゃるのには感心しました。また行きたいなあ。
by あーる (2012-10-02 20:38)
ボランティアに旅行気分というのは不謹慎な気もしましたが、どうせなら楽しんでできるほうがいいですよね☆
あまり重いと、気が滅入りますから・・・。
ガチャポンストラップもかわいいし♪
by JUNJUN (2012-10-02 20:41)
JUNJUNさん
確かに、たくさんの方が亡くなった被災地ですから、遊び半分というのは失礼だと思います。でも、あんまり真面目に構えてしまうと、逆に怖くて行けなくなるかも。それよりも、動機はともかくどんどん足を運んだほうが現地のためになるのじゃないかな。実際、行ってみると、知らない間に涙が出てくるような場面に何度も出会います。
by あーる (2012-10-02 20:52)
貴重なお話を聞けましたね。
やっぱり、当事者でなくてはわからない事って大切だと思います。
生活費はかからないが、交際費が・・・(w)
まさに、田舎の生活ですね^^;Aアセアセ
それが、万が一の時の絆になるとは感動ですね。
さて、前の記事にてコメントさせて頂きました『なれずし』
先程調べましたら、ご飯とご飯の間に淡水魚を入れて発酵させたお鮨
ボラは、海水魚ですので・・・なれ寿司にはなりませんね(><)
by kontenten (2012-10-02 21:13)
kontentenさん
田舎ではごく当たり前に助け合いが行われているのだなあ、と今さらながらしみじみ思いました。なれ鮨、鮒鮨が有名ですが、あれは酒飲みにはたまりませんね。食べたくなってネットを調べたのですが、いやはや、高級品ですねえ。とても手が出ません。
by あーる (2012-10-02 21:39)
おおっ、鹿子踊り。
新幹線の駅に飾ってあったのは見たことがあるけど、
http://takuma-g19.blog.so-net.ne.jp/2008-11-20
これですかぁ~。
by TAKUMA (2012-10-05 17:28)
TAKUMAさん
ベースは同じなんだと思うけれど、少しずつ意匠が違うんですよね。踊りもきっと違うんだろうな。ここのは随分激しい踊りに見えました。
by あーる (2012-10-05 21:08)