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小旅行(吉里吉里ボランティアツアー)-その1 [旅行]

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 9月28日(金)の夜から、ボランティアツアーに参加して、大槌町吉里吉里地区に行ってきました。

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今回は、東京駅からバス[バス]に乗り込みます


 バス[バス][バス][バス]は3台。横浜と東京から乗り込んで、約100名が参加です。
 で、いただいた名簿を見たら、どうも見たことのある名前がある[ひらめき]。東京から乗る人をチェックしていたら、どうもお互いちらちら[目]と見ている人が……思い切って声をかけたら、30年近く会っていない、高校の同級生でした。苗字が変わっていないから独身かと思ったら、中二の娘を連れている。フリーライター[ペン]をしているので旧姓で仕事をしているのだそうです。ダンナは古本屋[本]さん……何だか知らんが、やるなあ。娘さん、かわいいのですが、中国語なら「多嘴!」と言われるでしょうな。大人の話に割り込んでくる子供は、正直若干面倒だ。同級生の彼女とはもっと話をしたかったけど、バス[バス]は別でした。
 仙台と違って、岩手は遠い……なかなか、つきません。運転士さんも二人交代です。早朝にボラ現地に近い道の駅に着いたのですが、前の席の人か、5時台くらいから手持ちの(?)目覚まし時計[時計]か何かが何度も鳴って、ものすごーくうるさいのですが、本人が起きないという最悪の事態が……[ちっ(怒った顔)]。普通の深夜バス[バス]なら運転士さんに怒られるところですが、ボラのスタッフの人は何も言ってくれないのでした[もうやだ~(悲しい顔)]

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何はともあれ作業着に着替えます。がんばるぞー[手(グー)]

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自販機で売っていた、かわいい[揺れるハート]りんごジュース

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早朝の山は霧が立ち上ってとても美しいのですが

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未だ残る建物の骸

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吉里吉里地区に行く前に大槌町役場に寄りました

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津波の時間で止まったあと、なぜか少しずつ動いている時計

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役場周辺も荒涼としています

 地震発生後、元々古かった建物の崩壊を恐れ、この建物の外に対策本部を設けていたのだそうですが、それがまた津波から逃げ遅れる原因になってしまったとのこと……そして、町長さんをはじめ主要な幹部の人たちが犠牲になったことも、復旧が遅れる一因になったらしい。

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ツアー開会式の行われる大槌町公民館吉里吉里分館へ

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持参のおにぎりで朝食です


 地区の主だった人のご挨拶があり、吉里吉里の震災時のビデオを見ました。
 画像のURLはこちらです(15分くらいありますので、お時間のあるときにゆっくり見てみて下さい)→
http://www.youtube.com/watch?v=piETo6CBXGA&feature=player_embedded
 町会議員さんが、「東京ではすでに震災は風化してしまっているようですが、来て見てくだされば、まだ終わっていないことがわかっていただけると思います」とおっしゃっていたのが印象的でした。
 それにしてもこの地区、「芳賀さん」ばっかりだなあ。同じ苗字が多いので、みんな名前で呼び合うのだそうです。人口2,000人くらいだというし。

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公民館近くにある仮設のローソン。飲み物などはここで買えます

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「よぐ、おでんした」([猫]
ローソン裏の物置にいた三毛ちゃん

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午前中はマップを片手に吉里吉里の町歩き。我が班は一丁目の町会長さんのご案内

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神社の石碑には昭和8年の津波の教訓が書かれています

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昭和8年の津波に飲まれた家はもう少し高台に移ったのに

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今回もまたやられてしまった

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向こうには海。みな、言葉も出ません

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わかりづらいですが、一番高い白く尖った屋根が避難所となった小学校

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右手のこんもりしたのが鎮守の森、赤い鉄骨が地区唯一の診療所の跡

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花は咲いているのですが

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頑張って復活させた水産加工場!

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堤防。よく見ると、手前のほうは崩れていません

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崩れていないところには杭が打ってある


 杭うちを手抜きしたところはみんな引き波でなぎ倒されています。「誰が儲けたのか知らないけれども、無駄な金[有料]を遣った工事だったんでしょうね」と町の人。
 堤防は、昭和8年の津波に合わせた高さで造ったあと、また十勝沖津波の教訓を生かして上に造り足し、5メートルほどにしてありました。そこに、昨年の3.11の時には「3メートルほどの津波が発生する」という放送が流れたということで、安心していたことも被害を広げる一因となったらしい。「あのとき、『★メートルの津波が来る』なんて言わずに、ただ『大津波が来るから逃げろ』と言ってくれればよかったんだと思う」と、町の人。今後はいろいろな意見を鑑み、12.8メートルの堤防を造ることで合意を得ているそうです。
 町会長さんのお母様は、犬の散歩から帰ったあたりで家とともに流されて犠牲になり、家の下で見つかったそうです。猫二匹、犬一匹を飼っておられたそうですが、猫一匹だけは、流されたお家の二階から生きて出てきたとのこと。「名前を呼んだら、にゃーと鳴いて出てきました。怖かったでしょうね」と、町会長さん。
 途中いろいろなところで町の人と会いますが、全員、知り合い。お父様が吉里吉里語の本格的な辞書をつくっていらっしゃるという方にもお会いしました。資料はかなり流されてしまったのですが、これを拾い集めてなんとか資料として保存をしたいので、手伝ってくれる人を全国にネットで呼びかけたところ、たくさんの人が手[手(パー)]をさしのべてくれたそうです。で、みんなで手分けをして入力し、PDF化してCD[CD]に納める作業をして、辞書はもうじき出版の運びとか。ついでに、彼本人のところには、ボランティアで来られた千葉の看護婦さんがお嫁に来てくれたというおまけ付き[わーい(嬉しい顔)]

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高台にあって無事だった中学校の向こうに並ぶ仮設住宅

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お昼は町のお母さん方が作ってくれたカレーと地場のわかめを使ったサラダ


 お代わりしてしまいました[レストラン]。だってなあ、美味しいんだもんなあ。

 午後は、我が班は男子が町の掲示板作り、女子が神社の草取り(石碑のあったところ)。はっきり言って、楽勝の軽作業です。それでも、町の人が通りかかれば、「遠くからご苦労さんですねー。ほんとうは私たちがやらねばならないのに……」と頭を下げてくださいます。
 今回のツアー、ボラ参加者は実に格安なのですが(松8,000円、竹5,000円、梅3,000円)、実は主催のNPO法人にファミリーマートが全面協力しているらしい。流された掲示板の材料など、みなファミマが用意してくれたんだそうです。町に一軒だけのコンビニはローソンなのですが[たらーっ(汗)]
 その後は、町の名家吉里吉里善兵衛さんのお墓を見学に……というところで、不覚にもカメラ[カメラ]の電池が切れてしまいました![がく~(落胆した顔)] 十分に充電したと思ったのに~!! というわけで、ここからは携帯[携帯電話]で撮影。

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我々の宿泊所。きらりベース


 被災した小学校の二階を利用してボランティアの宿泊スペースにしている場所ですが、我々の宿泊を最後に、お借りしていた建物を町に返すのだそうです。我々女子は音楽室[演劇]で雑魚寝。床がフェリーの二等船室みたいで、(私にとっては)案外快適でした。
 お風呂[いい気分(温泉)]はホテルシーガリアで300円の使用料を払って使わせてもらいます(一般は500円。ボラ割引が300円です)。ホテルのロビーで、酒好きのおじさま方とこっそり[ビール]をいただく、わたくし……その後のお夕飯は近くの復興食堂でボリュームたっぷりの麻婆茄子丼でしたが、夜は町の人が来られてお話をするというので、ここでのアルコールは禁止です。

 と、長くなったので、後半に続く。



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コメント 10

green_blue_sky

お疲れ様でした。
被災地の復興はまだまだ遠いですね。
自然は徐々に戻れども、人間の生活はまだまだ・・・

同級生を会うとは偶然とはいえ、すごい確率ですね^_^;
長話をしたかったでしょう~
by green_blue_sky (2012-10-01 12:37) 

あーる

green_blue_skyさん
実際、驚きました。こっちはどうか知りませんが、向こうは高校時代とあんまり変わらない顔をしてました。昔からわりと老け顔だったし。
震災がなければ、大槌町なんて名前も知らず、吉里吉里がそこにあることも知りませんでした。今回行ってみて、とても強い潜在力を感じる場所だとわかりました。
by あーる (2012-10-01 15:12) 

ChatBleu

まだこんなところがあるのですね。びっくりです。
復旧まではまだまだとは思ってはいましたが、ここまでとは。
by ChatBleu (2012-10-01 17:54) 

あーる

ChatBleuさん
そうなんです。みんなもうこんな所はないと思っていますよね。南三陸あたりもまだまだこうですし、案外多いと思ってください。お忙しいと思いますが、どこか一カ所でもいいからご自分でご覧になると、決してまだ終わっていないことがわかります。
by あーる (2012-10-01 18:23) 

kontenten

震災の数日前から、予震のようなモノがありましたよね(w)
その後、3・11が起こって・・・津波に警戒して下さいって
報道していましたが、それこそオオカミ少年状態だった事を
遠い埼玉から拝見して、そう思いました。
被災された方々を思うと、今更ながら胸が痛いです。
 NIKONのカメラ・・・当時の状況を彷彿とさせますね。
ボランティア&ご報告、本当にお疲れ様でしたm(_ _)m
by kontenten (2012-10-01 18:52) 

JUNJUN

これがきりきり人の里ですか?!
りんごジュースのボトルかわいい☆
震災の爪あとは・・・痛々しいですね。
by JUNJUN (2012-10-01 19:49) 

チャコ&ミニ

読みいってしまいました。
地震は過去のことじゃないですね。
首輪をつけた猫ちゃんにほっと心が和みました。
by チャコ&ミニ (2012-10-02 00:34) 

あーる

kontentenさん
海辺の町だけに、吉里吉里の古老はみな何度か大小の津波を経験してきているのだと思いますが、それでも逃げ切れないのが自然の恐ろしさですね。それでも団結して苦しみを乗り切ろうとしている姿に一番感動しました。

JUNJUNさん
吉里吉里人の里、とても小さなところですが、自然に恵まれたいい場所でした。人も良いし。あの小説の後はやっぱり大ブームが起きて、みんな登場人物に扮装してみたりしたらしいですよ。震災の爪あと、まだまだたくさんありました。

チャコ&ミニさん
1年半も経っているのに、全然変わらないところもたくさんあります。本来は、海の恵に生きてきたとてもよい町なのですが。
猫ちゃん、どうして物置にいたのかなあ。従業員の人が休んでいる向かい側に座っておとなしくしていましたよ。
by あーる (2012-10-02 12:22) 

TAKUMA

うーーむ、まだまだですねぇ。
仙台港辺りは元通りと言ってもよいくらいだったのに…
by TAKUMA (2012-10-05 17:13) 

あーる

TAKUMAさん
都会はかなり復旧が早いです。でも、それだけにいろいろ行くと格差がすごいことがわかります。でもねえ、吉里吉里はいいところなんだ、これが。
by あーる (2012-10-05 21:05) 

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