仙台にて [旅行]
4/28夜から5/1にかけて、郷里・仙台に帰省しました。
行きのバスは4列シートで、バス自体も小さくてトイレもなく、けっこうぎうぎう。隣の人と、「狭いですねー」なんて言いながら乗り込みました。帰省?らしい人に交じって、おそらく現地ボランティアのために行くのか、リュックをしょった若い衆の姿も目立ちます。ありがたいことです。
隣の席のおねえさんは、座るやいなやアイマスクをかけ、いきなり頭をがくんがくんさせて爆睡。若いお嬢さんは、カバンの中からおもむろに大きなジャージを取りだして、大胆なホットパンツの上からしゅっと穿きました。みんな、なんかプロ。
私も缶ビール1本飲んでまあまあ寝たりして、29日の朝7時半くらいに仙台駅前に着きました。
娘が久しぶりに帰ってきたというので、両親が叔母二人も誘って、ドライブがてら何か美味しいものでも食べに行きましょう、ということに。
どこに行くのかなーと思っていたら、噂に聞く松島・大観荘に。私は初めて行きました。
7Fの最上階のレストランに行こうともくろんだようなのですが、エレベータで着いた7Fは真っ暗。フロントに戻って聞いてみると、今お昼が食べられるのは地下の和食のみとのこと。キレイな日本庭園の見えるところで、とりあえずお食事。
レストランにあった「いやすこ」という名の日本酒を買いに売店に行くと、なんと、
ほとんどワー☆マンの店内のようです。もちろん、日本酒も買えましたが。大観荘、なんだか2Fに洗濯物がたくさん干してあるなーと思ったら、石巻救済の部隊が入っているようです。外には、「兵庫県」とか「広島県」とか遠くから来た災害時救済車両が何台も停まり、紺色の作業服を来たお兄さんたちがいろいろ話し合っていました。
売店の美人のおねえさんに聞いたところ、震災の影響でカード会社との通信がダメになって、一切現金支払いでお願いしていること、波は来なかったけれどもひどい揺れで上の階のガラスが割れまくったこと、レストランを再開しようにも食材が届かなくて閉めざるを得ないことなど、教えてくれました。全面再開は夏を目指しているけれども……ということでしたが、直接津波にあったわけではなくても、傷は深いようです。仙台市内がわりあい平気そうだったので、その被害の大きさに愕然としました。
外の海岸沿いのところを車で走ると、
本当はGWはかき入れ時なのでしょうが、閉めているお店が圧倒的に多い。松島水族館はようやく営業を再開していますが、賑わいが戻るのはもう少し先になりそうです。大観荘のほかにも、大きな旅館関係は、災害対策関係者のために施設を提供しているようです。
翌日、仙台市内をぶらぶらと散歩してみると、やはりこちらも少なからず被害はありました。
仙台の中心部については、だいたい物流も元通り、インフラも回復したのですが、やはり建築物を中心にダメージが見られます。
仙台から松島方面に車で走ったときには、山にけっこう桜がまだ咲いていて、とてもキレイでした。まだもう少し、お花見ができそう。
別の日に、やはり車で狩野英行んちの方にも行ってみました。栗原市は震度7で、本当は一番揺れが激し待ったところなのですが、津波ですっかり霞んでしまい、その後はほとんど報道もあまりされなかったように思います。広々と田んぼの広がるところで、若干山が崩れたところが見られましたが、あまり大きな被害は見受けられませんでした(もちろん、屋根瓦が落ちた家は仙台市内と同様にけっこうたくさんありましたが)。
栗原は高原なので、さらにたくさん桜の花が残っていました。狩野くんは、いいところで育ったねえ……と思ってしまいます。
仙台は、東京電力でなく東北電力管轄であるせいか、今の東京に比べて、街中がとても明るいイメージでした。あんまりあちこちに「がんばろう宮城!」「がんばろう東北!」って書いてあるので、若干「もういいよ」という感じはしますが、徐々にでも生活を元に戻そうと思えば、やっぱり気合いを入れなくてはなりません。
東京に戻るバスは、3列シートでちょっと楽。乗り込んできた若い女の人たちが、「泥が固まっていて重かったー! 腕がパンパン」と話をしていたところを見ると、ボランティアに参加してくれた人なのでしょう。
GWには間に合いませんが、私も筋肉が回復したら(特に腹筋)、なんかやってみようかな、と思いました。
行きのバスは4列シートで、バス自体も小さくてトイレもなく、けっこうぎうぎう。隣の人と、「狭いですねー」なんて言いながら乗り込みました。帰省?らしい人に交じって、おそらく現地ボランティアのために行くのか、リュックをしょった若い衆の姿も目立ちます。ありがたいことです。
隣の席のおねえさんは、座るやいなやアイマスクをかけ、いきなり頭をがくんがくんさせて爆睡。若いお嬢さんは、カバンの中からおもむろに大きなジャージを取りだして、大胆なホットパンツの上からしゅっと穿きました。みんな、なんかプロ。
私も缶ビール1本飲んでまあまあ寝たりして、29日の朝7時半くらいに仙台駅前に着きました。
至る所に看板……阪神淡路の直後に出張で行った神戸もこうだったなあ
娘が久しぶりに帰ってきたというので、両親が叔母二人も誘って、ドライブがてら何か美味しいものでも食べに行きましょう、ということに。
どこに行くのかなーと思っていたら、噂に聞く松島・大観荘に。私は初めて行きました。
7Fの最上階のレストランに行こうともくろんだようなのですが、エレベータで着いた7Fは真っ暗。フロントに戻って聞いてみると、今お昼が食べられるのは地下の和食のみとのこと。キレイな日本庭園の見えるところで、とりあえずお食事。
レストランにあった「いやすこ」という名の日本酒を買いに売店に行くと、なんと、
防災グッズがてんこ盛り!
ほとんどワー☆マンの店内のようです。もちろん、日本酒も買えましたが。大観荘、なんだか2Fに洗濯物がたくさん干してあるなーと思ったら、石巻救済の部隊が入っているようです。外には、「兵庫県」とか「広島県」とか遠くから来た災害時救済車両が何台も停まり、紺色の作業服を来たお兄さんたちがいろいろ話し合っていました。
売店の美人のおねえさんに聞いたところ、震災の影響でカード会社との通信がダメになって、一切現金支払いでお願いしていること、波は来なかったけれどもひどい揺れで上の階のガラスが割れまくったこと、レストランを再開しようにも食材が届かなくて閉めざるを得ないことなど、教えてくれました。全面再開は夏を目指しているけれども……ということでしたが、直接津波にあったわけではなくても、傷は深いようです。仙台市内がわりあい平気そうだったので、その被害の大きさに愕然としました。
外の海岸沿いのところを車で走ると、
歪んだシャッター
本当はGWはかき入れ時なのでしょうが、閉めているお店が圧倒的に多い。松島水族館はようやく営業を再開していますが、賑わいが戻るのはもう少し先になりそうです。大観荘のほかにも、大きな旅館関係は、災害対策関係者のために施設を提供しているようです。
翌日、仙台市内をぶらぶらと散歩してみると、やはりこちらも少なからず被害はありました。
古い住宅は、瓦が危ない(新しいところでもけっこう落ちていましたが)
小中学校の同級生の実家。壁がばっかり剥落
国分町のパーキング。建物丸ごと「危険」判定
かまぼこの名店も被災
壁の剥落のひどいホテル
仙台の中心部については、だいたい物流も元通り、インフラも回復したのですが、やはり建築物を中心にダメージが見られます。
そんな街中でもきれいに咲くしだれ桜
さすがに若干気温が低いので、まだ咲いている
仙台から松島方面に車で走ったときには、山にけっこう桜がまだ咲いていて、とてもキレイでした。まだもう少し、お花見ができそう。
別の日に、やはり車で狩野英行んちの方にも行ってみました。栗原市は震度7で、本当は一番揺れが激し待ったところなのですが、津波ですっかり霞んでしまい、その後はほとんど報道もあまりされなかったように思います。広々と田んぼの広がるところで、若干山が崩れたところが見られましたが、あまり大きな被害は見受けられませんでした(もちろん、屋根瓦が落ちた家は仙台市内と同様にけっこうたくさんありましたが)。
栗原は高原なので、さらにたくさん桜の花が残っていました。狩野くんは、いいところで育ったねえ……と思ってしまいます。
勾当台公園のチャリティーイベント。下手くそなバンドが元気いっぱいに演奏していました
仙台は、東京電力でなく東北電力管轄であるせいか、今の東京に比べて、街中がとても明るいイメージでした。あんまりあちこちに「がんばろう宮城!」「がんばろう東北!」って書いてあるので、若干「もういいよ」という感じはしますが、徐々にでも生活を元に戻そうと思えば、やっぱり気合いを入れなくてはなりません。
東京に戻るバスは、3列シートでちょっと楽。乗り込んできた若い女の人たちが、「泥が固まっていて重かったー! 腕がパンパン」と話をしていたところを見ると、ボランティアに参加してくれた人なのでしょう。
GWには間に合いませんが、私も筋肉が回復したら(特に腹筋)、なんかやってみようかな、と思いました。
建物の被災が・・・・復旧が早まるといいですね。
かわいいもの展で見た男性が私です。
いつもの場所では何回もお会いしていましたね。失礼したしました。
周りの人たちはみな、そちら方面の人たちです。
何か機会がある時はネコだんぎをしながら集合しましょう。
ちなみに昨日の人たち、みな酒豪です。
そして私の右側にいた人は岩手出身で、親せきの人たち、津波で犠牲になられています。被災地を見ると、涙が止まらないといっていました。。。。
by green_blue_sky (2011-05-03 09:38)
右側というのは、メガネをかけた小柄な髪の長い女性か、それともセミロングの女性か、ちょっとわかりませんが。
こちらこそお顔を存じ上げないとはいえ、挨拶もせず失礼しました。
またお目に掛かる機会があれば……楽しみにしています。
by あーる (2011-05-03 09:59)
前の職場に弟さんが仙台に家を建てて住んでいるという人がいて、震災の日以来いろいろな話を聞かせてくれていました。
私自身は、就職して2年目に小松仙台便を利用して職場の職員旅行に行きました。観光バスでまわった途中、桃園で一人1個大きな桃をもらえたのですが、それが私の人生の中で1番おいしかった桃です。松島では「松島や ああ松島や 松島や」ってここか、と景色を眺め回しました。つい昨日のことのように思い出されます。
一日も早い復興を祈ります。
by チャコ&ミニ (2011-05-03 10:21)
実は栗原には独身時代に勤めていた会社の工場があって
そこでヤギを飼ったりとかもしてたので、すごく心配してました。
なかなか報道がないんですよね。
大きな重機をたくさん持つ建設会社ですし、社長の思いは強いので、今、きっと皆さんのお役に立っているのではないかと思います。
4月下旬から友人が石巻に入ってます。ほんとは私も飛んでいきたいけど自分の体力に自信がなくて…かえって迷惑をかけてしまうと思うので、堪えてます。
仙台は昔、何度か行きました。松島も。
美しい街の再生、心から応援してます!
by ネム (2011-05-03 13:05)
GWはボランティア希望が多くて、途中から受付しなくなった
そうですね。私は間際まで予定も経たなかったので何もできず、
心苦しいばかり。
早く復興しますように。
それにしても、深夜バス!体力ありますねー。
by ChatBleu (2011-05-03 16:41)
チャコ&ミニさん
美味しい旅行をなさったのですね。桃ですか!
松島、町自体は津波の被害を受けていないのが救いですが、まだまだ完全復活には時間が掛かりそうな雰囲気です。それにしても、本当にいろいろなところの人が駆けつけてくれているのですね。
ネムさん
栗原、のどかないいところですよね。おっしゃっている会社かわかりませんが、大きな重機を何台も並べている会社を見かけたように思います。こんな時は、大活躍かもしれませんね。
ChatBleuさん
GWが終わってからがたいへんなんだと思います。うちの会社も、ボランティア休暇を認めてほしいなど、今いくつか動きがあります。本来はまだまだ手が足りないのでしょうから。
深夜バス、最高で下関まで乗ったことがあります。仙台は、距離が近いので楽ですよ。
by あーる (2011-05-03 17:16)
震災の爪あと、1件1件見ていくと、本当に痛々しいですね。
何のお役にも立てませんが、現地の人々が、一日も早く落ち着いた日常を取り戻せるよう、お祈りいたします☆
by JUNJUN (2011-05-03 19:19)
たくさんの人が同じように祈ってくれていますよね。私も一緒に祈りをこめます!
by あーる (2011-05-03 20:28)
こんばんは!
日本の復興力は目を見張るものがありますからね。
1日でも早く元の日常に戻るのを祈るばかりです。
by kazukazu (2011-05-05 00:21)
みなさん前向きに頑張っていらっしゃるようで、
すごいなと思います。
私も出来ることからやってみようと思います。
by りる (2011-05-05 03:03)
こんにちは
あーるさん、お疲れ様でした。
新幹線は停電で止まるのじゃないかとどきどきして帰りました。
東北本線は強風の為に25分遅れましたけど・・。
福島の地に入ると桃の花がキレイで、瓦屋根はブルーシートで覆われている家が多かったのですが、のどかな車窓でした。
余計に悲しさを感じました。
by 溺愛猫的女人 (2011-05-05 10:31)
やっぱりテレビで見るのとは違いますよね。
爪痕が・・・
帰省お疲れ様でした。
あんまり長居するとケンカするっての解るわかる(笑)
by りんぽぽ (2011-05-05 21:56)
kazukazuさん
そうですよね。急速に立ち直っている場所も確かにありますよね。
早く元の生活に戻れるよう、日本中で努力する必要があります。
りるさん
あまりひどいところには行かなかったので……でも、何しろ前向きに進むしかありませんよね。
溺愛猫的女人さん
往復とも深夜バスだったので途中の福島等の状況は見られませんでした。被災地にも、花は咲いているんですよね。
りんぽぽさん
そうなんですよ。たまーに会うからいいのであって、四六時中顔をつきあわせていると、絶対最後には喧嘩になるのです。
by あーる (2011-05-05 23:39)